海沿い散歩、(2)


写真を毎日撮っていた頃と、たまにしか撮らなくなった時、
ブランクの分だけ感性や、切り取る目が中々戻らず、
その目がもう戻らない。そんなふうに思えてさびしくなったりです。
走ることも同じかもです。

週末毎に走るなかで自然と研ぎ澄まされるあの感覚?センサー?は、
ブランクでリセットされる気がします。

ひさしぶりでも今までと同じように走れる、身体が覚えている。
そう錯覚しまいがちですが、現像を終えた写真を見て、
本当はきっと写真と同じように、走りもまだ戻っていないと思っていたりです。

勘違いしないようにしなくちゃ。そんな60才です。
2か月振りなのでそれを自覚し、心がけたのはひとつひとつを確かめるように。








この日は何年も何年も、繰り返し走って来た道。
いつもの道で自分の状態を確かめながら。

よくも飽きずに海沿いばかり走っているとも思います。
毎週走ってMCに慣れていたなら、もっと外へ外へと望むかもですが、
ブランクがあり、色々と弱ったなかでは、
慣れ親しんだ海沿いのこの緩さが心地よくてです。

勝手知る道だからこそ、立ち止まる場所を少し変えるだけで新鮮です。
心の中でそれを遊ぶように楽しんでいたりでした。

この道、やっぱりいいかも。
日常のアクセントにちゃんとなっています。
ただ走っているだけなのに。








波の音が近くに聞こえるところに来ました。
見下ろして海の広さを眺めるのも好きですが、近くに感じる海も好きです。

信号で殆ど途切れることなく最北端までつづくただ一本の道です。
目くるめくように変化していくこの道は、
まるでボヘミアンラプソディーを聴くようだったり。

何も目指さず、ただゆるく。
懐かしさを少し含みながら、いまを走ってる。

同じ道ばかりを好んで走るRIDERが、自分の他にもし居たなら、
分かってくれる感覚かもと思ってみたり。







自分のペースで、いまの自分が行けるところまで、

最北端を目指して、でも本当は目指してなくて。

そんな道の過程がなによりも好きな時間かもです。


コメント

  1. こんにちは。初めまして。
    樹生和人さんのblogで存じ上げるようになってから、拝見させていただいています。
    今回の投稿で、
    ”同じ道ばかりを好んで走るRIDER"
    私もまさにそれです。
    selenさんの”海沿い”という表現を、”京北〜美山の山中”に変えれば、まさに普段の私。
    あまりに”分かる”投稿だったので、思わずコメントしてしましました。
    これからも楽しみに拝見させて頂きます。

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    1. HiroshiMutoさん、こんばんは。
      わたしも樹生さんのリンクを通して、
      記事をいつも拝見させて頂いております。
      ちょうど良い距離感で、身近のお気に入りにアクセス出来ると、
      往路、復路の移動ストレスもありませんから、
      自分に無理しないでいられる道なのかもですね。
      初めて走った時から、年齢も季節も随分と重ねてしまいましたが、
      きっとこの道が何故か居心地良いから。
      いや、お互い重ねて来た分居心地が良くなったのかもですね。
      初コメありがとうございました。
      HiroshiMutoさん、これからも宜しくお願いいたします。

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