原付デビューを果たした1年後、中型免許を取得しました。
公道を初めて走ったとき、
原付とは別次元に思えるほどの忘れられない感動があります。
それは、どんなに強い向かい風でも突き進む力。
峠の上りで失速しない。しかもそこからまだ加速も出来る力の余裕。
大学時代のMCは、写真を撮るためだけの移動の手段でしたが、
その後の自分の在りようとしてのきっかけになりました。
ヤマハXZ400
ヘルメットはGPAエンデューロ。
いまのアライ プロシェードと同じ機構です。
いまもそうですが、眩しい光は鼻がムズムズして、
くしゃみが止まりません。無駄に体力を消耗してしまいます。
クリアとスモークの二重シールドは、当時このヘルメットしか在りませんでしたし、
自分の理想形でした。
このころはまだ、MCの在る風景を撮るという概念が有りませんでした。
それよりも行く先々で出会う地元の子供たちだったり、
その土地で生きる人の表情に心を奪われていました。
なので、愛車を撮った写真が極めて少ないです。
ウェアは、ダイネーゼのケニーレプリカでした。
つまずいて転んだだけで、膝の皮が剥けてすごく痛いのに、
MCの速度でもし転倒し、アスファルト路面に身体が擦られるなんて、
ノープロテクトは想像しただけで怖かったからです。
学生ではありましたが、そこだけはお金の問題ではない気がしました。
そして、ケニーロバーツは自分にとって特別でもありましたから。
性格もありますが、もしも?を想像することって、
MCで走るなか自然と身についたような気もしてます。
XZ400のツインのパルスは、ひとつひとつ蹴って進む走り方、
2スト原付と違いメリハリが在ってとても好きでした。
でも、本当の自分の気持ちは誤魔化せませんでした。
じつは免許制度で中型までと、心に偽りをもって自分を縛っていました。
本当は、、求める一台が既に在ったからです。
でも限定解除なんて到底無理だと諦めていました。
大学卒業まで残り一年。
どうしても諦められない。
その一台への思いが強くなりました。
一目見たそのとき時から、移動手段としてではないものを感じたスズキ カタナ。
ぜったいカタナに乗る。
妥協したままでいること、甘んじていることが嫌で嫌で堪りませんでした。
自分に資格があるのか、はっきりさせよう。
その後の自分に影響した、MCが移動の手段から変化したときかもです。
実現するなら学生のうち。
そんな思いにかられ限定解除。(3)へ続きます。


コメント遅くてすみません。
返信削除1982年デビューのYAMAHA XZ400!!
水冷Vツイン、DOHC8バルブ、シャフトドライブ、そしてリアのモノクロスサスペンションと、フロントは非常に珍しいトレーリングアクセル。
XJ400や、CBX400,ZGP400など、空冷マルチの400㏄スーパースポーツが並ぶ中で、独自の実際域での速さと、徒にクイックでないハンドリングを持った、「渋い」、でも雰囲気バイクでないハイパフォーマンス、スーパースポーツでしたね。
そこからの限定解除。
第3弾を、楽しみに待っております。
樹生さん、こんばんは。
削除極々個人的な履歴なのでコメント頂けるとは思ってなく、
こうして一筆いただけたこと、しかも同じ世代だからなのか、
とてもうれしかったです。有難うございます。
中型免許を取得してどのMCに乗るのか、その選択過程はたのしいものでした。
ネットなんてありませんでしたから、紙媒体のバイク雑誌で情報を得ようと随分
読み込んだ記憶があります。
でも当時のバイク誌は、何馬力だとか、ゼロヨンの速さを競ったりとか、
最高速は何キロだとか、そんなことばかり。速いからなに?
毎度そんなことしか書けない薄っぺらい比較ばかりのバイク雑誌に、
心底うんざりしていました。
知りたかったのは、そのバイクで走ったらどんな世界が見れるのか、
自分が求めるもの共感できるものは、
世のMC媒体には伝える力も、表現の深さも無いのだと思いました。
自分が求めるものは自分で見つけるものだと、そう思いました。
このころはまだ自分の軸足が、MCでもなくクルマでもなく、
写真だったり剣道だったりのころでした。
それでも走っていくことで、少しづつMCが自分を侵食していたのを憶えています。
隙間を埋めるようになったのは社会に出てからですが、、
くーたさんの言葉を借りるなら、
MCと出会えてよかった。走ることを知っていてよかった。
僕たちの今まで、きっとこの言葉に尽きるかもですね。
XZ400、走る事より写真が好きで剣道が好きで、
でも走ることが好きで、混沌とした学生時代なんだか一番充実していたかもです。